[社会法人 アジア協会アジア友の会(JAFS)]
 

さる8月9日〜18日、JAFSインドネシアスタディツアーが実施されました。
今回の目的は、インドネシア・バリ島の伝統文化と環境保全に留意した開発の取り組みを学ぶとともに、JAFSプロジェクトの現状視察ということで、ジャワ島東部パチタン県プリングクク村の飲料水供給プロジェクトを見学しました。地元の人々の協力の下、2000年9月に着工し、2001年3月に完成した全長6kmに及ぶ飲料水供給パイプラインの今をレポートします。
(レポーター:村上公彦事務局長)
  JAFSがやって来た
 

プリングクク村に、本会の協力で待ちに待った飲料水パイプラインができておよそ一年半がたった。今年8月中旬、JAFSのメンバー9人(18歳〜62歳までの男4人女6人)が同村を訪れた。車窓から見る緑いっぱいの村は一見貧しさを少しも感じさせない。まず村の小学校を訪ねた。ここにも水道が引かれている。我々が校庭に入ると待っていた子ども達が元気良くあいさつをする。「サラマットバギー!(おはよう!)」たちまち子ども達に取り囲まれた。水汲みの重労働から解放された彼らの表情はとても明るい。学校は希望の場所なのだ。数人の子供に聞いてみた。「学校は楽しい?」はにかみながら「ウン」と頷く。教師達も嬉しそうだ。「パイプラインのおかげで子ども達が楽になり、識字率が上がりましたよ。」一人の教師はそう言ってくれた。歩いてみると、以外に坂の多いがたがた道の連続だ。一行は村の幾つかの家を訪ねてみた。
  今じゃ各戸に蛇口が光る
 

最初に訪ねたのは、バパック ジャミンさん(50歳)の家である。母屋と納屋の間の狭い通路を通って家の裏側に出るとそこには真新しい水道と水槽があった。嬉しそうに少し自慢げに水道栓をひねって見せてくれた。水は水槽に注がれ澄んだきれいな水溜りをつくっていく。老夫婦とジャミン夫妻とその子ども達7人家族とのこと。これまで毎日7人分の水汲みは大変だったろうと想像できる。次の家は水源からおよそ300m離れた坂の途中に住む二人暮らしの老夫婦、テイロンさん(75歳)とヤテンさん(70歳)。年齢の割に若々しい感じがする大変元気なカップル。毎日の畑仕事が健康の秘訣らしい。日本の家に比べて規模は大きいがよく見ると熱帯地方特有の天井の高い大雑把なつくりでちょうど納屋のようなもの。床は土である。またどの家も台所は家の一番奥、炊事の炉があるためだ。薄暗い台所に真新しい蛇口があった。
  テレマカシー・・・
  早速水道のことを聞いてみた。"パイプラインができて何かが変わりましたか?"テイロンさん開口一番"テレカマシー・・・(ありがとう)"一呼吸おいて"まず生活が楽になりました。"とのこと。"これまで水源まで毎日水を汲みに行っていました。往きは約10分の下りで問題はないのですが、帰りは天秤の両側にバケツをつけてゆっくり30分以上かけて坂を登るのです。年をとると年々この水汲みが体にこたえるようになっていました。子ども達は皆都会に出ていますが村に戻ってくれることを望んでいます。水道については、村のみんながJAFSをはじめホサナ、カルナカシー(現地NGO)、それに背後で支えてくれた日本の皆さんに感謝しています・・・"
 
  給水は1日2回
 

プリングクク村の水道は、1日2回、6時と11時に水源のポンプ場から村に6箇所設置された給水タンクに水を送り、給水タンクから配水パイプを通じて各家庭の台所の水槽に水が流れる。未だ一部(山間部)には配水管が完成していないところがあり、現在工事がおこなわれている。各家庭では日本のように24時間蛇口から水が出るのではなく、給水時間に各台所の蛇口から出る水をいったん水槽に溜めて使っている。貧しい村ではディーゼルエンジンを使用したポンプを24時間稼動させる経済的余裕はない。しかし、水の無駄遣いを避ける為には考えようによってはうまいシステムと言えるかもしれない。
  パイプラインが支えた村の生活 〜水の大切さを知る〜 宮里 恵
 

今回見学したプリングクク村のパイプラインが完成するまで女性や子ども達は舗装されていない険しい山道を何キロもかけて水を運んでいたと聞きました。何も持たずに歩くだけでも大変な道を、家族のために懸命に重い水を運んでいた姿を想像すると村の女性の力強さを感じると共に、日本で普段当たり前のように利用していた水のありがたさを痛感しました。パイプラインができて本当に良かったと話してくれた村の人々の笑顔が印象的です。しかしパイプラインができたといってもそれが全ての家庭につながっているわけではなく、まだまだあの険しい山道を歩いて水を運んでいる人もいます。一日も早く全ての家庭に水が届くよう、そしてJAFSとプリングクク村の人々が力を合わせて築いたパイプラインがいつまでも繋がっていくよう今後も努力が必要であると思いました。
(本会会員 看護士)
  プリングクク村
 

インドネシア・東ジャワ地方南部の山間にあり、人口約3,300人。年間降水量は大阪市の約10分の1。
農業を主体としているが、水が不足しているため、土地はやせていて稲作には適さない。村人は野菜や果物を細々と作り近くの市場で売って、なんとか生計をたてている。4年ごとに厳しい乾期が訪れ水場が枯れることも多い。貧しくて満足に学校へ通えない子も多く、村に高校はなく大学への進学はほとんどみこめない。教育基準が低いために、仕事が見つけにくく、生活レベルも向上しないという悪循環が続いていた。村人の9割はイスラム教徒、1日5回モスクから礼拝の声が流れる。
  バリ島の爆弾テロを悼む
 

JAFSのインドネシアにおける提携団体「ホサナ財団」があるバリ島で、2002年10月12日深夜、テロによる爆発事件が起きました。外国人が多く集まるディスコが狙われ、180人以上が死亡、日本人7人を含む数百人が負傷するという大惨事となりました。バリ島は、イスラム教国インドネシアにあって、人口の約9割はヒンズー教という例外的な状況が真空地帯を生み出してしまったのかもしれません。JAFSからも早速お見舞いのお手紙をホサナ財団にお送りしました。
インドネシアには、種族(スク)宗教(アガマ)人種(ラス)階層(アンタルゴロンガン)の頭文字をつなげた"SARA"という言葉があります。"SARA"の多様性がインドネシアの社会問題を複雑にしてきました。JAFSのパイプラインが建設されたジャワ島プリングクク村はイスラム教徒の村です。一方「ホサナ財団」はプリングクク村の人たちとは種族の違うバリ人の組織、そして村でパイプライン建設を支えた地元のボランティア団体「カルナカシ」はキリスト教の女性グループでした。同じ目的を持って協力することが"SARA"を乗り越えさせ、みんなを一つにすることができた・・・世界にもそういう日が来ると嬉しいのですが。(雅)
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